Windows 11 のリリースに思う (2021年 10月)
2021年秋 Windows 11 が国内でもリリースされた。
今思えば MicroSoft は今までに何度 OS を刷新してきたのだろうか?
私の個人的な憶測ではあるが、MicroSoft は Windows 10 以降は、余程のことが無い限り、Revision Up は行ったとしても、
Version Up は無いだろうと思っていたが、今回だけは見事に覆された感がある。
また以前と同様な、Version Up を繰り返し続けられるのかと思うと、何だが期待外れ感とは別に失望感を覚えるのは私だけであろうか?
実は私も 1970年代から大型コンピュータ(メインフレーム)の OS 開発に従事してきた経緯がある。
当時はコンピュータと言えば、官庁や自治体、銀行などで運用されていたメインフレームしかなく、パソコンの出現など予想できない
時代ではあったが、メインフレームにはしっかりとした OS が搭載されおり、今は懐かし Windows 95 等と比べると、
その性能は圧倒的に高いものがあった。(月とすっぽん程の差と言っても過言ではない)
その後、半世紀が経とうとしている今でも、メインフレームの OS は大幅に変わることなく定着している。
言い換えれば、半世紀も前に、既に OS の進化に於ける、最終段階のステージに達していたと考えるべきであろう。
(もちろん進化の著しい、昨今のネットワーク関連の制御機能は別として…)
一例を挙げると、半世紀前に開発されたアプリケーションも、ただ再コンパイルするだけで、何ら支障なく最新のメインフレーム上で
動作が可能と言うから、ビックリする以外の何者でもない。
話を戻すと、OS はコンピュータの制御と操作を司る機能であって、商品ではないと言う事である。
大切なのは、そのコンピュータ上で動くアプリケーションの品揃いであり、また思い付いたアプリケーションを誰にでも手軽に作成できる
開発環境の提供であろう。
これを思うと、今まで何度、OS の変更によりパソコンの買い替え、アプリケーションの OS 対応と操作の再学習を強いられてきたのであろうか。
今まで慣れ親しんできたアプリケーションの操作性が変わることは、会社での業務運用効率の低下に繋がることにもなりかねない。
MicroSoft 自身は OS が商品であるから、定期的に更新して新商品として流通させたい狙いは解るが、大きな機能変更ではない限り、
基本画面の操作性(GUI)は変えないで欲しいのである。
OS の本来の目的は、専門的な知識が無くても、誰にでも簡単に操作が出来ることにあるため、新しい OS の操作性が以前とは著しく
異なっていては、一体何のための OS なのかと考えてしまう。 (より簡単になるのであれば何ら文句は無いが…)
MicroSoft にすれば、データの安全性や信頼性の確保と処理効率の改善が大義名分ではあるが、新しい OS の発表なのに
画面の見た目や操作性が同じでは、顧客へのアピール感に乏しく、逆に顧客からすればどこが変わったの?
と思われても仕方がないことから、敢て必要のない GUI の変更までも取り入れてしまう傾向にあるのでは、と見ている。
これは OS のみならず、MicroSoft Office の Version Up でも同じ事が言えるだろう。
Windows 10 の発表以来、パソコンもメインフレームと同様に、OS は最終段階のステージに到達していることを、MicroSoft 自身が
強く意識して、この先はアプリケーション環境の充実のために方向転換していくとの意思表示が見られた感もあったが、
今回の Windows 11 のリリースとは一体?
今後も相も変わらず、以前と同様な道をたどるのであろうか?
文科省の 「情報教育推進政策」 とは ? (2021年 11月)
資料によると、2025年の大学入試共通テストから、「情報」 なる受験科目が追加されるらしい。
また小学校は 2020年、中学校は 2021年、高校は 2022年から、プログラミング教育が必修化されるとか。
となると、小学校と中学校では既にプログラミング教育が始まっているのかな?
文科省によると、進化するこれからの時代に求められる能力、「情報活用能力」の育成が目的らしい。
情報活用能力とは、情報の収集、整理、分析、表現、発信、… etc
指針内容を覗いてみると、政策の大義名分については、私も情報処理技術者の端くれとして、大いに賛同するところではあるが、
どうもくどくどと細かすぎて、私にはよく解り辛い感がある。
実際には、教育現場の先生方に現状と進捗状況をお聞きしてみないと、何とも言えないが、高校生は当然のこと、また中学生は
「技術・家庭」の教科があるため、何かしらのきっかけさえ与えられれば、独自で学習できる年代であろうと予想できる。
問題は小学生であろう。
小学校への指針では、特別に教科を新設する訳ではないとすると、通常課程の中に情報処理教育をどのように取り込み、誰が、
どうやって教えるのかが、さっぱりと見えてこない。
ましてや低学年ともなると、パソコンやタブレットのイロハすら、小学校教員が教えるのは簡単ではなさそうだ。
そもそも、パソコンの操作支援の要となるべき OS 自体が、対象の年代層別に用意されている訳ではなく、大の大人ですら、
やりたい操作に悩むことが多いのが、昨今のパソコン事情のように思える。 (OS のVersion の違い等により…)
(真の OS のあるべき姿については、後日時間がある時のコラムの題材としたい)
だが、この政策の一番のターゲットは、次の時代を背負うであろう、小学生の年代にあることは、はっきりとしている。
この世代から、きっちりとした概念と基本を培っておかないと、急速な時代の変化に対応することが出来ないのはもちろんのこと、
やがては総ての産業分野で海外に遅れをとるようになり、国力の低下へと繋がることは確実だと言えるだろう。
ならば、この小学校低学年層にどうやって、情報活用能力の大切さを教えるのか?
それは教えると言うことではなく、触れさせて興味を持たせることであろう。
私は教育者ではないが、教育の原点は「憧れと感動」であると信じている。
これは、伯父(故)の教えでもあるが、「若き時代に、感動なくして何があるのか!」 とよく教えられたことを思い出す。
小さな子供達が、眼を輝かせるような、憧れと感動に出会うことで、「やってみたい」、「知りたい」 の行動スイッチが ON となり、
教えるまでもなく、子供なりに自ら探求する行動を取るであろうと思われる。 (逆にそうあって欲しいと願っている)
我々の世代のように、コンピュータは事務処理だけの高速機械のような教育から、「コンピュータでこんなこともできるんだ!」 と
子供達をビックリさせるような教育、AI などと上段に構えるのではなく、身近な些細なことでも、コンピュータを解決手段として
利用したくなるような教育、これこそが ICT 時代における次世代育成の基本姿勢だと言えよう。
それには先ず、子供たちの興味のジャンルに捉われることなく、自由に調べて収集出来る環境が重要で、収集したものを
自分なりに解り易く整理できる環境も合わせて必要となってくるであろう。
だが、現状の収集道具の最有力候補とも言える、インターネットでの収集環境では、小学校低学年には重すぎる感があり、
仮に収集出来たとしても、自分なりに整理する環境が、いわゆる今時のデータベースの応用では、余計に足枷が重くなりそうだ。
こんな状況を踏まえて、現在弊社では 「子供目線のもの探し」、「宝物箱のような入れ物」 をテーマに、支援アプリケーションの
開発プロジェクトを試行中であることを報告しておきます。 (詳細は後日、目処が立ち次第、順次発表の予定)
私事になりますが、この度、半世紀の時を経て母校でもある 「柏崎市北条中学校」様に、表敬訪問させていただきました。
このことをきっかけに、実際に教育現場でご活躍の、菊地校長先生を始め、諸先生方の貴重なご意見をお伺いする機会を設け、
様々な角度から、支援アプリ開発へのご協力をいただけることを期待しております。
勝手な要望ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
次世代を背負う多くの子供達に、喜んで使ってもらえる、アプリの提供へ繋がることを信じて…。
編集長 『萬有一体』